まじかるブログ

人生を悔いなく全うした父の言葉から生きることの意味を考えて

子ども料理教室まじかるれっすんを始めるきっかけになった
ふたつの想いを今日と次回の2回に分けてお伝えします。
少々長くなりますがお付き合いくだされば幸いです。

私の父は私が20歳の時に52歳で他界しました。
若い頃に罹患した結核の再発と思っていた父は
自分の病が治らないと悟った日から
痛みのケア以外の一切の治療と食事を断ち
一言の愚痴も未練も残さず潔く死を受け入れました。

母と交代で身の回りの世話をしていたある時
実年齢より幼く見える私に
「お前は幾つだ?」と眠っていたはずの父が突然聞くので
「はたち」と答えると怒ったように
「全くこどもっぽいなっ!」と一言だけ言って壁側に寝返りを打ちました。
今までそのような口調で私に話しかけた事は一度もなく、
そこに父の「生」に対する未練と
「死」を受け入れざるを得ない苦悩と覚悟を感じた私は
涙をこぼさないようにするのが精一杯でした。
そしてその一言が父から私への最後の言葉になりました。

病が発見されてから4ヶ月
あっ、と言う間に旅立った父の最期は立派だったと今でも思っています。

それまで何の不自由もなく、父の有り難みも解らず
呑気にさほど努力もせずに生きていた私。

何故父は「死にたくない!」と一度も言わず
取り乱すこともなく覚悟を決められたのか。

もし私が死の淵にいたら私はどうしただろう?

経済的にも家庭的にも決して恵まれていたとは言えない環境で育った父は
私が幼い頃に会社を起こしました。
必死で働いたであろう父の苦労など知る由もなく
また知ろうともしなかった私。
ただ父の最期を看取った20歳の私は後に父の人生を振り返り
この先やりたい事はいっぱいあっただろうけれど
そこまではやらずに後悔する様な生き方はして来なかったと言う事
多分精一杯生きた故なのだろう、と理解しました。

「こどもっぽい!」と乱暴に言った言葉は
「悔いのない様に生きろよ!」と言うメッセージだったのかも知れない
と父の大きさを初めて知り
この先は精一杯生きることを天の父に誓いました。

とは言うものの
精一杯生きるとはどう言う事なのかはっきりと解らず
それでも出来るだけのことはして来たつもりで過ごした10年余り。
その後に自分の生き方を変える転機を迎えますが
この続きは次回に…

 


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