まじかるブログ

知識と経験、そしてインスピレーション。出来なかったことが出来る様になる喜びの仕組みとは?

発想するためには、まずは知識と経験の積み重ねが重要です。

先日某SNSの記事で書いたのですが、その時に思った事を書こうかと思います。

その記事の内容を要約すると【僕が大学生の頃4年間毎月1回必ず食べていた某中華料理店の【肉丼】の味を、数年前にほぼイメージ通りに再現することが出来る様になった】という内容でした。その記事を見てくれた友人が『それは、才能があるからだね!』というコメントを貰って、少し考えたのでした。

僕は大学当時、料理について全く無知でした。この【肉丼】のあんかけですらどのようにしてつけているのか知りません。ですから毎月食べているのに、感想が《美味しい!好みだ!》程度の認識しかなく、当然再現することは出来ません、と言うか作ってみようとさえ考えてなかった()

そんな僕が、料理に対して関心を持ち、いろんな料理を作ろうと思い立つのです。その場合、先ずは知識がないとできませんから、自分なりのアプローチで料理を研究することになります。中華料理の基本的な作り方・味付けに使用する調味料・とろみを付ける片栗粉という存在などなど()

ですが、この時点でも【肉丼】を再現することは出来ませんでした。イメージしている味に近づけられないのです。この時点で再現を諦めて、記憶の引き出しに【肉丼】は仕舞われるのでした。

それから何年も年月が経ち、自分の店をオープンしてしまいます()日々いろいろな料理を作る経験を積んでいる時、ふと閃くのです。『あれ?この味って・・・何かに似てる?』

全く違う料理からインスピレーションを受けて、何に似てるのか考えている時に、昔々分からなくて引き出しに仕舞っていた【肉丼】がひょっこり顔をのぞかせたりするのです(ω)

『あぁ、足りなかったのはこれっだったのかな?』という思い付きで、そこから何度か試行錯誤するうちに、ほぼイメージ通りの【懐かしの肉丼】の味を再現できるようになりました。

僕の感覚ですが『何かに似ている』という感覚が非常に重要で、もやもやしたイメージにたどり着く瞬間がとても楽しかったりします。インスピレーションを受け、全く違ったものに思考が【ジャンプ】するような浮遊感を感じます、自由って言葉に近い楽しさかもしれませんね。

その思考のジャンプの為には、当然ですが、知識の蓄積・経験の蓄積が大前提です。知らなければ発想できないし、経験が足りなければ発想を形にすることが出来ないからです。

もともと僕には料理の才能とか皆無です、そこには自信あります()でも、知識と経験を積むと、こんな素敵なインスピレーションを受けることもあるのです(^^

料理に限らず、一見無駄だと感じる知識でも、取りあえず好き嫌いせずに取り込んでみる。その取り込んだ知識が、いつか全く違う場面や別分野の知識に刺激され、予期しない方向へと飛躍するかもしれない。そうなったら面白そうだと僕は感じています。

こんなことをぼんやり考えていると、僕に才能があったとしたら【大したことないものでも面白がれる所】かもしれないなとか、ちょっと自己分析など()


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